SOS

コンドミニアムでセキュリティガードをしている警察官の友だちからSOS入電。
なんでも日本人が怒って恐いから助けてという女性が泣いて駆け込んできたそうです。
彼らも一応その日本人がいる部屋に行って応対するも日本語で何を言っているのか
わからず、警察官に助けを求めてきました。
早速そのコンドミニアムに行くと日本でいうタワーズマンションのような立派なところでした。
中に入ると女性といってもまだ十代っ?て感じの子がいて話を聞くと殴られたような暴力はないけど
何で怒っているかわからない監禁しようとするという事で僕らもその日本人の住む部屋に行きました。
インターホンを鳴らすとすぐに出てきて僕らを見るとちょっと慌てた感じでしたが
僕が日本語で対応すると安心したのか部屋に招いてくれ何でこういう事になったのか話を聞きました。
その方は短い期間ですが月に2~3回はフィリピンに来ていて彼女と会っていたそうです。
そしてコンドミニアムを買い彼女を住まわせていたのに、彼女から妹が怪我したから帰りたいと
片言の日本語で言ってきたので、私は数日しかいられないから帰らないでほしいと言ったら
彼女はタガログ語でワケのわからない事を言うので、ここの部屋は私が買ったんだからここは日本だ
ちゃんと日本語で話せと言ったら泣いて出ていってしまった。
だ、そうです。
正直ワケのわからない事を言っているのはこの日本人の方なので僕の応対は
ふつうだったら彼女の妹が怪我したと言ったら、すぐに帰すか一緒に行って様子を見ますよね。
お見舞いの一つでも持って一緒に行けば彼女も喜ぶだろうし、家族の方も安心しますよね。
逆に彼女が一緒に行くのを嫌そうならフィリピン人は変にプライドが高いので貧しい家を見せたくない
もしくは家にはちゃんと彼氏ないし旦那がいて、それを隠しているから一緒に行きたくない。
それにこの部屋は日本だと言いますが、どこにいてもフィリピンですよ。
あなたは二人の少ない愛の時間を大切にしたいとおっしゃいましたが、そんなに愛している彼女なら
フィリピンの事をもっと理解し習慣や風習を尊重しないといけないんじゃないでしょうか。
僕らは住んでいるんじゃなくて住まわせてもらっているんですから。
貧困層の家庭では女の子が生まれると喜び、女の子が一家の大黒柱になる事も珍しくないそうです。
彼女がそうとは言いませんが、日本や外国で働くために捕まるの覚悟で偽のパスポートで入国し
嫌な客の相手をしてお金を稼ぎ、家族の生活を守っているんです。
そんな彼女を責められますか?
少なくともあなたもいい思いしたんですよね。
それに彼女はどう見ても十代ですよね?
日本だったらこれ犯罪ですよ。
フィリピンだって同じです。
僕が訴えればあなた刑務所ですよと言うとフィリピンには二度と来ないし彼女にも会わないと言って
フィリピンを去っていきました。

その方のお歳は50代くらいで、日本には奥様もお子さんもいる方でしたが、こういう方多すぎ。

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台風Noru

台風ノルが2022/9/25日マニラに直撃しました。

ウチは持ち運べる電化製品は2階に運び、子どもたちもみんな2階に避難し難を逃れました。
僕がフィリピンに住んでいた頃も台風や地震など震災に遭い、8日間電気も水も出ない経験もしました。
話は飛んでしまいますが、そんなとき頼りになったのは子どもたちだったんですね。
最初は扇風機もクーラーもなくて暑くて寝れないし、電気も水道水もないから食事もままならない状況でしたが
慣れてくるとその状況が楽しくなり扇風機の代わりにウチワを子どもたちと作ったり
洗濯は川に行き、そのついでに魚を釣ったり、子どもたちと散歩しながら食べれる草と食べれない草や実を
子どもたちが教えてくれ採って食べたり、とにかく一日があっというまに過ぎていきました。

子どもたちと震災によって教えてもらったこの経験は僕にとって一生の思い出です。


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バギオ

結論から先に言うとなんやかんやで仕事が忙しく、僕が抜けるわけにはいかなくなり
スケベなオヤジ共をアンヘレスというところのGOGO BARに連れていきオヤジ様たちは
気にいった女の子とイチャイチャ
※GOGOBARとは女の子たちがステージで踊っていたり接客をしてくれるところです真面目に書くと😁

そうなると逆に僕らは邪魔な存在になるので後は警察官と
日本語を少し話せる女の子に任せて僕はバギオというところに向いました。

バギオ近くになるとオーバーヒートしている車がいるくらい急コーナーと急な坂の連続で
ワクワクしながら走っているとイチゴファーム?そうなんですバギオはフィリピンの割には寒く
標高も1500mと高いのでイチゴが採れるそうで、懐かしいと思い食べてみたら日本のと比べると
ちょっとすっぱい感じがしましたが食感はイチゴでした。
ちょっと山を歩いてみると霧のせいか空気が心地よく足も軽く、帰り道を失いました。

特に帰りたくなかったわけじゃないですよただフィリピンをもっと知りたくなりました。

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旅に出ます

仕事は順調だし免許も取れたけど何か違うと気がつくのに時間はかかりませんでした。
かといって何がしたいとかはなくビジョンもなにもありませんでしたが何か違う気がしたんです。
そして思ったのが、せっかくフィリピンにいるんだし各地を旅していろんな人に出会いたいと。
ただガイドの仕事には日本人である僕が必要だし警察官も運ちゃんも日本語はあまり話せない。
そこに警察官の妹が私の友だち少しだったら日本語話せるよと言ってきたので会う事になりました。
会ってみると日本から帰ってきたばかりという今でいうとタレントさんで日本語もきれいに話せて
容姿もお綺麗で、日本のフィリピンパブで働いていたとなれば接客も上手いだろうし彼女がOKなら
僕のいる必要性はなく、彼女に相談したら夜の仕事ではなく昼の仕事がしたかったとOKをもらい
仕事は警察官と運ちゃんそして彼女に任せて僕は旅に出ます。
旅に出るといっても手段は?

ブチと一緒にヒッチハイク?

バイクでツーリング?

迷います。

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免許

ガイドの仕事もリピーターが増えて順調に進み、そろそろ車の免許が欲しいなぁと
警察官に相談するとOKと言ってから数日後、明日行きましょーと言われ早朝出発。
申請だけのつもりで行ったら書類を書いて、個室みたいな所でカップを渡され尿検査?
※これはドラッグをやっているかいないかの検査でした。
数十分待つと中に呼ばれ、所長とタガログ語と英語でインタビューが始まりました。
※何かアクシデントや事故に遭っても言葉が通じないと対処できないからです。
終わると写真撮影してお昼ご飯を食べて3時頃呼ばれ免許証のできあがり。

そうなんです技能試験も学科もないんです。
払った金額は当時で3500ペソ(7000円)くらいでした。
しかし最初にやる事が尿検査というのはフィリピンらしい(笑)

仕事は順調だし免許も取れたけど何か違うと気がつくのに時間はかかりませんでした。

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帰れない?

日本から来たジイサンの友だちも満足してお帰りになり、次の約束までしてくれました。
お客様も喜んでくれて、ガイドしたみんなも一か月分以上のサラリーを3日で稼いだと
喜んでくれ、また数週間後には来るというんだから、これでどんどんリピーターが増えれば
仕事になるとみんなヤル気満々で、僕は当分日本には帰れない危機感を感じました。

しかし仕事となると事故や病気・怪我などの保険も入らないとならないし、いろいろと申請書も多く
なによりも僕は日本人なので観光ビザで仕事をするわけにはいかないと警察官に言うと
だいじょうぶ俺の周りにはそういうの得意なヤツいっぱいいるからと…出た悪徳警察官の本性💦
しかしまったく悪徳ではなく規則正しく揃える物は揃え申請する物は申請し手際よくこなし
僕は一度日本に帰り必要書類を揃え、めでたくビジネスビザを取得しました…めでたく?

この頃からもう日本には帰れないんじゃないかと感じ始めました(笑)

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キッカケ

日本に帰る日がそろそろ近づいたころ日本のジイチャンから、まだフィリピンにいるなら
友人がそっちに行くから案内してやってくれという連絡があり僕の帰国日は完全に無視され話は進み
日時と人数・行きたい所リクエストを言われて電話は切れました。
警察官に相談するとエクステンション(延長)すればいいじゃんと、これまた僕のスケジュールは無視
イミグレーションには知り合いがいるからと警察官の妹が一緒に行ってくれて申請する時、何カ月?
と聞くので10日間くらいと答えると、3カ月ねと可愛い顔でニコッとしながら申請してくれました。
またまた僕の考えは無視です。

しかし案内をするといってもダバオならわかるけどマニラは10日間くらいの僕には到底無理な話なので
また警察官に相談すると非番のヤツ何人か連れてガイドしてやると頼もしいお言葉に甘えて
お迎えの当日、空港に行くと僕に銃口を向けたタクシーの運ちゃんがいました。
※詳細はコチラmuzzle
というか運ちゃんの方から僕を見つけてくれクラクション鳴らして合図してくれました。
運ちゃんは嬉しそうに子どもは病院に行ってよくなった事を話してくれ、まだ足りないけどと
子どもの薬代になればと渡したお金の半分くらいですが返してくれました。
貸したお金は返ってこないが常識のフィリピンでは珍しいことです。
この人は信用できると思い、銃の話は内緒で警察官にも話し彼を運転手として3日間雇う事にしました。

これが僕のフィリピンでの初仕事のキッカケになりました。

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ふぃりぴんトイレ事情

人間も動物も生きていれば食べたら出すはあたりまえの事ですよね。
アイドルはしないと聞きますがどうしてんでしょうあんな小さなメダカだって食べたら出します。
今回は僕がフィリピンに初めて行った時に直面したナンジャコレ?を紹介します。

まずはこの写真を見て一般のトイレにはない物と、あるはずの物がないのに気がつくと思います。
あるはずの物がない其の壱
そうなんです便座がないんです。
慌ててトイレ入ってコイツが目の前に現れたらそりゃ驚いて○らしちゃいますよ💦
便器に直接座るのは嫌だったので、ヒンズースクワットの姿勢でお尻を宙に浮かせてやりました。
その達成感はフィリピンを制したくらいの気持ちよさでした👍
足はプルプルだったけど💦
フィリピン人に腹筋割れてる人が多いのはこのせいなんだろうなぁと拭こうとすると
あるはずの物がない其の弐
トイレットペーパーがないんです。
フィリピンには元々トイレで紙を使う文化はなく、日本のトイレットペーパーと違って
水に溶けにくく、ゴワゴワしているのでデリケートなところには不向きなんですね。
それに排水管も細いので詰まらせて逆流させちゃうんです僕も何回も経験あり💦
トイレットペーパーがなけりゃどうすんのー
一般のトイレにはない物
あるじゃないですか目の前にバケツと手酌が…あとはご想像におまかせして割愛させていただきます。

もちろん外人さんが訪れる空港やレストラン、ショッピングモールやホテルなどの新しい施設は
トイレが綺麗でちゃんと便座もあり、設備も整っているのでご安心ください。

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敬老の日

敬老の日ですねー🎵
僕は2歳の頃には、ばあちゃんの家でばあちゃんとばあちゃんの息子たちと暮らし
ばあちゃんに育てられたので、僕にとってはばあちゃんが母親だったんですね。
子どもの頃は小さくて痩せていたので塾よりも道場に無理やり通わされていました。
庭の柿の木から池に落ちた時もばあちゃんが助けてくれ、小学校六年の時に種痘という
予防接種で高熱が出て医師から死亡宣告を受けた時は夢の中でじいちゃんが川の向こうにいて
手を振り、こっち側には知らない白髪ロン毛のじいちゃんがいて手の中の水を触ったら
目が覚めて、熱も下がっていました。
背が小さくてスターウォーズのヨーダみたいなばあちゃんでしたが大好きでした。

フィリピンに行くキッカケもジイサンだし、今の仕事に就いたのもジイサンがキッカケなので
僕にとって敬老の日は敬老感謝の日なのです…といっても僕ももうその歳なんですが(笑)💦

このCM好きだなぁ

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こんにちは赤ちゃん

今日はちょっといつもの流れとは違いますが、自分の記録と記憶のために書きます。
インスタにダルマメダカの動画を投稿したら、卵あるかもというコメントをいただき
僕には肉眼で見えないので写真を撮ったらあったー😍

ホテイ草も調べたら卵が付いていたのでタッパに移し、翌日見たら既に孵化して泳いでる子が✨
こんにちは~赤ちゃん🎵
わたしがジイチャンです😁
慌ててグリーンウオーターの入ったタッパに針子たちを移し…どこイッター?!
肉眼では見えないのでスマホのカメラをズームしてタッパ内を捜索…いました🐟

とても嬉しいのですがもうすぐ寒くなるこの時期に、しかもメダカと暮らし始めてまだ2カ月の僕の
所に産まれ、不安もありますが越冬に向けて少しでも大きく元気に育てていきたいです。

つづきます