ダバオ

マニラを早朝5時に出発してダバオに着いたのは7時頃。
病院に行くには早いしお腹も空いていたので観光がてら街をブラブラ。
今は街もきれいに整備され治安も良くなりましたが30年前はきれいではなく
治安もさほどよくはなかったのですが、何故か僕の中では好きかもと(笑)

ブラブラしているうちに時間も経ってしまい迷いながら病院に向いました。
病院で担当の先生と会い、症状を聞きながら日本のおじいちゃんに電話で話し
手術承諾証やら書類をFAXし、サインして送り返してもらいました。
今回、僕をフィリピンに飛ばしたおじいちゃんのお兄さんAさんは当時で72歳。
※これからおじいちゃんのお兄さんの事をAさんと呼びます。
Aさんは日本のフィリピンパブで知り合ったという23歳の女性と結婚をするために
フィリピンを訪れ2日後にモールで倒れて緊急入院したそうです。
やるなぁじいちゃん👍
と後になっては言える事ですが当時は大変でした。
ICUで目覚めたAさんは機械に囲まれたベットで体を動かすこともできず
周りは言葉も通じない外人しかおらず不安でこのまま死にたいと思ったそうです。
僕はビザを2週間に延長してAさんの身の回りのお世話をする事になりました。
数日が経った朝いつものようにホテルから病院に行くといつもお世話をしてくれる
インターンが日本語でオハヨウゴザイマスとAさんに挨拶をしていました。
びっくりしてインターンに聞くとAさんがいつも寂しそうだから
みんなでお金を出し合って日本語辞書を買ってAさんを励ましたかったと。
毎日Aさんの前を通るたびに日本語で話しかけてくる姿を見て
Aさんも顔色が良くなり微笑むようになりました。

Aさんは退院してからもフィリピンに移住し、幸せな生涯を終えました。

ダバオつづきます

出逢いに感謝

イミグレーションを難なく通過してロビーに出た僕は両替所を探して
円からペソに両替し、次に乗る飛行機の確認をしました。
そうなんです目的地はダバオという島で飛行機を乗り継がないとならないのです。
ドメスティックエアポートまでは送迎バスがあるのですが出発までは時間があり
空港内をウロウロしては椅子に座ってガイドブックを読み、またウロウロ
すると中年の警察官に何か困りごとか?みたいなニュアンスで声をかけられ
これはまさにガイドブックに載っていたカモ(僕)と悪いフィリピン人じゃんと思い
大丈夫ですと丁重にお断りするも、どこに行く?何をしている?としつこいので
ダバオに行くと伝えると送迎バスの始発までは時間があるからカフェに行こうと…
これでついていったら何をされるかわからないと思いながらもコーヒーに勝てず
ヒマだったのでついていくとロビーを出た道路の隅にオバチャンが座っており
その横にはポットがあり、警察官はコーヒー2つ注文し僕にも座れと(笑)
オバチャンはカップにインスタントコーヒーを入れお湯を注いでくれました。
そうですこれも立派なカフェなんですしかもテラス席👍
警察官ともオバチャンとも身振り手振りで話して和気あいあいになり
気がつけば空もうっすら明るくなりはじめ警察官がコーヒー代を払ってくれ
バスのところまで案内してくれ何かあったら電話しろと見送ってくれました。



どんな高級なカフェよりも美味しい珈琲でした☕
そして後にこの警察官とはまた出会う事になります。

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イミグレーション

マニラの空港に着いたのは夜の10時半頃。
イミグレーションも難なく通過し…余談ですが、たまに入国できなかったり
お金を要求される事もあります。
例えばタトゥや刺青のある方などは運が悪いと入国できなかったりします。
欧米人はバリバリタトゥが入っていてもスルーなのに日本人には厳しいので
タトゥや刺青のある方でフィリピンに来られる方は暑くても長袖長ズボン着用
もしくは現ナマを用意して行ってください(笑)

でもフィリピンをそうさせた日本も…機会があったらお話させていただきますね。

そしてこれは僕の友人の体験談なのですが、成田空港でフライデーを買って
フィリピンに着き荷物チェックのところで女性職員にキビシイ顔で呼び止められ
この本はヌードが載っているからとフライデーを没収され現金を要求されました。

でも女性職員もお金を貰えて満面の笑みでトモダチ~と喜んでいたそうですし
友人もフィリピンの洗礼を受けて喜んでました(笑)

余談が長くなってしまってスミマセン😅

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日本最大級のアウトドアレジャー予約サイト。

親子のお出かけにぴったりのツアーを紹介する

 「SOTOASOBI(そとあそび )」です。

井戸端会議

日本からフィリピンまでの飛行時間は約4時間半なので
その間に三軒茶屋で何のお店をやっていたのかについてお話させていただきます。
きっかけは友人のご家族が営む薬屋さんによく遊びに行っていたんですね。
友人が仕事をしている間は暇なので待合室で井戸端会議をしているじいちゃんばあちゃんをからかったりマッサージをしているうちに、じいちゃんから家を一軒貸してやるからそこでマッサージ屋をやらないかと声をかけていただき、お店をオープンする事ができました。
知識も資格もない自分でしたが、マッサージにはちょっと自信があり皆さんの口コミでお年寄りの憩いの場としてもまぁまぁ繁盛しておりました。

(写真はイメージです)

マッサージ屋をやらないかと声をかけてくれたじいちゃんが
僕をフィリピンに飛ばせた爺です😅

飛ばされた

今から30数年前、三軒茶屋でお店を営んでいた時に知り合いの方から              「兄がフィリピンで倒れたから行ってくれないか」・・・と
当時の僕はフィリピン=セブくらいの知識しかなく言語も何もわからないからと
丁重にお断りしたのですが、その方も障害があり飛行機に乗れる状態ではなく
パスポートはあるよな?旅行会社には伝えてあるからすぐに電話してくれと
言われるがままにチケットを用意させられ、その日の夜に旅立ちました。   

けっきょく最初から飛ばすつもりだったんですね😅
でもその方のおかげでお店を出せたんだし・・・まぁいいか😁

つづきます